平成24年6月度活動報告

県連 三地区交流会に参加しました。 (12.06.30)

30日(土)ニューサンピア敦賀・金ヶ崎緑地周辺に於いて、敦賀YEG主管の県連 三地区研修交流会が開催されました。

福井駅東口にバスで8時30分出発、9時15分頃にはニューサンピア敦賀へ到着しました。9時30分から開会し、「伸び行く大地斉唱」「綱領朗読・指針唱和」が行われ、続いて県連 倉内会長と敦賀YEG 赤尾会長から挨拶がありました。

10時からは講演会。講演者の気比史学会会長 糀谷好晃様より「悠久の歴史/敦賀1300年」と題し敦賀の歴史的特性を1,300年の歴史を踏まえて紹介がありました。1,300年の歴史を約1時間で説明するので端折ることとなりましたが、

・古墳銀座と呼ばれ多くの前方後円墳があり、金メッキされた甲と帽子が出土した大変珍しい土地
・現在の嶺北地方と敦賀と能登、加賀が一体となった国が大宝律令(701年)の下で越前とよばれ越前とは「こしのみちくに」であり敦賀は表玄関なので「口越前」とも呼ばれた


敦賀は元々、角鹿と呼ばれ713年(和銅6年)に「畿内7道の諸国郡郷の名は好字を著(つ)けよ」との法令発布により角鹿→敦賀に変更されたとのことです。よって来年2013年ですから敦賀と名づけられて1,300年が経つ記念すべき年です。

続いて金ヶ崎緑地施設見学会です。金ヶ崎まではバスで移動ですが、なんと福井YEGのバスは鯖江に帰ってしまい、どうすればいいか途方に暮れてしまう大失態!なんとか敦賀YEGの計らいでサンピア敦賀のバスを使わせていただき事無きを得ました。いつもながらスミマセン…


何とかバスで金ヶ崎に到着。下記の3施設が金ヶ崎に徒歩2~3分の位置にあります。

施設1:赤レンガ倉庫
外国人技師の設計によって1905年に建てられ当時は石油貯蔵庫として使われ、数年前までは昆布貯蔵庫としても使用された。赤レンガ倉庫周辺整備が予定されており、その際に使用されるレンガにメッセージを残せるよう生レンガに5寸釘で好きな文字を彫りました。


施設2:敦賀鉄道資料館
明治45年からは欧亜国際連絡列車の運転が始まり、新橋(東京)を出て敦賀までの列車が走り、敦賀の港から連絡船でウラジオストクに渡り、そこからシベリア鉄道でパリ(フランス)まで行くという路線が確立したことや、日本海側で最初に鉄道が敷かれた街が敦賀であること、平成11年に敦賀開港100周年を記念して旧敦賀港駅舎を再現して造られた。情緒ある駅舎の中で敦賀港駅舎の歴史を学びました


施設3:敦賀ムゼウム
敦賀港は人道の港とも呼ばれ、1920年にポーランド孤児、1940年には「命のビザ」を持ったユダヤ人難民が上陸した日本で唯一の港。館内はナチスの迫害から逃れるため日本通過ビザを求めたユダヤ難民に対して、リストニアの領事代理だった杉原千畝が苦悩の末、「命のビザ」を発給した経緯が展示されている。杉原千畝の博愛精神による決断に感動しました。


見学がおわり一路、サンピア敦賀に戻り交流会が13時30分から始まりました。交流会では各テーブルに福井・敦賀・小浜YEGが入り混じっての交流です。福井YEGは2月の会員大会に向けて各テーブルへ名刺交換をしてPRするよう松井実行委員長より伝令が出ているので、挨拶回りをたくさんしました。

交流会、中ほどで会員大会のPRをステージに出てやることとなっていたので福井YEGは全員でPRしました。たくさんの福井YEG参加者のおかげで松井君を中心に団結したPRできたと思います。松井君には、できれば印象に残る面白いシュプレキコールも考えといて下さい。


福井YEGのPRの後は小浜YEGによる近畿ブロック大会のPRがありました。PRでは米村実行委員長が「融合」をテーマにした各種面白い分科会を企画したとのことパンフレットを見ましたが小浜らしい分科会があります。僕は分科会Aの「若狭の魚を釣る・さばく・食す」に参加したいです。10月にはみなさん、福井小浜に行きましょう。


交流会が終わり福井へ帰ります。いなくなったバスも戻っており福井YEGを乗せ17時に福井駅東口に無事到着しました。束の間でしたが小浜・敦賀YEGと交流でき、敦賀の歴史も勉強できてより福井県人として教養が高まった気がします。三地区交流会を企画したいただいた敦賀YEGのみなさん、ありがとうございました。福井YEGのみなさん、大変お疲れ様でした。【記事担当:岡山宇太郎】
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