入会当時、同期入会をした仲間たちと最初の年に一緒に近畿ブロック大会に参加し、その近畿ブロック大会に全国から集まるYEGの仲間たちは熱い想いで参加しており、「なんて熱い会だ...」と思ったのを覚えています。
私は福井で生まれ育ち、13年間福井を離れ県外で過ごしていました。実は福井に帰らないつもりで県外に出たのですが、実家の仕事を継ぐために帰ることになりました。福井に戻った当初、県外からの遅れを感じ、地元のために何かできることはないかと考えていた時に福井YEGの存在を知りました。まちの為に活動ができること、さらに経営という孤独な仕事をする中で同じ立場の一緒に汗をかける仲間がたくさんいる事も魅力に思えました。
仕事で付き合いのあった当時の福井商工会議所の課長が勧めていただいたことも有り入会を決意しました。ただ、福井YEGに入会するには既存会員からの紹介が必要な為、紹介者を探していたら福井YEGのOBで会長まで経験をされた方と出会い、熱い想いをお聞きし、その方のご家族で現役メンバーの方のご紹介で入会をすることができました。
福井YEGは委員会という幾つかのグループにわかれて一年間活動を進めていくのですが、入会当初、私は総務委員会に所属しました。熱い想いで入会したのですが、総務委員会は事務的な作業が多くなんとなく冷めているような気がして少しギャップを感じました。
その後、ビジネス系(会員のビジネススキルをアップさせる事業を構築する委員会)の委員会に入り、当時の委員長のもと副委員長をして、福井市の足羽川河川敷桜並木の桜の倒木を利用してお箸を作る「さくらのおはし」という事業をした時にYEGの凄さと熱さを感じました。ただ、その時は委員長が全て仕切っており、副委員長があまり手を出せずにいて、熱い人は熱くて、その周りはお手伝いのようにも感じ悶々とした時期でもありました。その頃から、入会当初は福井のためにという熱い想いがあったのですが、自分の想いがわからなくなってきて活動に参加しなくなっていきました。
「休会したい...」と、とても良くしてくださっていた先輩に相談をしたら「絶対休んだらやめてしまうから、休んじゃだめ」といわれて、首の皮一枚残ることができました。そんな状態で5年ほど熱心に活動しない時期もあったのですが、ある時、また別のお世話になっていた先輩から福井YEG 40周年事業に是非参加して欲しいと手書きのハガキをいただき、とても心に響きました。そのハガキは2年ほどお守り代わりにカバンに入れて持ち歩いていました。
先輩の気持ちもあり、久しぶりにYEG活動に参加した時に周りに知っている人が少なく一人でいると、同期入会の仲間が私のことを知らない会員や新入会員のメンバー一人一人に私を紹介して回ってくれました。その仲間が次年度の会長になると聞き、「自分はこれでいいのか...」と奮起し、それから出れる例会は全てでようと考え一年間活動しました。その活動を見てくれていたのか、その翌年度には副委員長をさせていただくことになりました。本当に感謝をしています。
仕事でもそうなのですが、困ったことが起きた時、必ず誰かが助けてくれるという経験を多くしています。このYEG活動でもこうやって参加をさせて頂き、たくさんの学びを頂けている今があるのは周りの方達に助けられているからだと感じています。
久しぶりでもパッと参加をして、知っている仲間が周りの人と繋げてくれて、そこにいる人達と話ができる。年齢とか会社の大きさに関係なく対等に話ができる。話をするととてもレベルが高い、熱い話ができる。そんな福井YEGはとても良い集まりだと思います。
私みたいな参加の仕方をしている方は福井YEGの中にも多くいるでしょう。そんな皆さんに是非お伝えしたいのですが、卒業する時に「YEGに入っていて良かった」と思えるように活動をして欲しい、ということです。私自身、卒業式の時に出てくる想い出があるのか、と考えたこともあります。実際そう考えて卒業式に来ない人もいるのではないでしょうか。参加をすれば色々な経験をさせてもらえ、たくさんの話を聞けて、まちを良くしたいと思ったら本当に まちに関わることができる。福井YEGはそんな凄い会です。
商売が繋がれるということもありますが、それを超越したものが福井YEGにはあります。福井YEGは自分の人としての器の大きさを広げさせてもらえる場なんです。
株式会社 キシモト商会 岸本 潔武(きしもと きよたけ)部長1975年生まれ。 【趣味】バイク スキー 家族と遊ぶ 【特技】スキー 機械工作 【好きな色】青 【座右の銘】為せば成る為さねば成らぬ何事も 【感銘を受けた本】得手に帆あげて |